どんなゲーム人生を送ってきたのか?
ブログも移転したことで新しく見てくれている人も多いと思います。なので、過去のブログからこのシリーズを抜粋してみました。
1人1人のゲーム人生がある中、おしょ~がどーいうゲーム人生を送ってきたのか、これを見るとだいぶわかるんじゃないかなと。
自分にとっても、昔のことを記録として残すのは備忘録としてもいいですしね。そんなわけで、以前のブログで見た人も、はじめて見る人も新鮮な気持ちで見てもらえれば嬉しいです!
■生まれは東京都福生市
おしょ~は昭和51年に東京都福生市(米軍の横田基地があるとこ)で生まれました。
父と母、そして2コ上の兄貴。次男坊として生まれたので両親も慣れたせいかけっこう放置されてたみたいです。
兄貴の後ろをおいかけて戦隊ヒーローごっこをやったりして遊んでました。『バトルフィーバーJ』のごっこ遊びをやったとき、おしょ~だけ「ミス・アメリカ」という女性キャラをやらされました。「なんで自分だけ女のキャラ…( TДT)」みたいに泣いたことを覚えてます(*´∀`)
で、この当時はまだTVゲーム、ってものが一般的ではありませんでした。なので基本的には外で遊んでましたね。
■はじめて遊んだテレビゲーム
そして確か2才のころだったかな?親父がとある任天堂のゲームを買ってきたんです。それがコレ。
任天堂の『ブロック崩し』
大きさはPS3をちょこっと小さくした感じ。
これをTVにつなぐと文字通り『ブロック崩し』というゲームが遊べました。6ステージあって、スイッチを切り替えて遊ぶ単純なものだったんですがこれに夢中になりまして…。
全6面をサクッとクリアはもちろん、ステージスイッチを2と3の間でわざととめ、バグらせて遊んだりもしてました。当時はこういうハード的にいたずらできたのは面白かったですね。
■デパートの屋上で遊んだゲームたち
それから幼稚園になると両親の買い物にいっしょに行くようになり。その時代はいわゆるデパートに買い物に行くことがほとんどでした。
ただ、子供の兄貴と自分はそんな買い物を見ていてもつまらないわけで。駄々をこねたりするわけです。
そこで両親はデパートに着くと兄貴とおしょ~に500円札(昔はお札でありました)を渡します。これでデパートの屋上にあるゲームコーナーで遊んで来いと。
まぁそれを兄貴が握りしめて二人でエスカレーターを駆け上がりゲームコーナーへ一直線。
当時はゲームコーナーにおっちゃんとおばさんがいたので
「おばちゃん、これ50円玉に両替して!」
と言って両替をすませ、兄貴と半分こにして思い思いのゲームを遊んでました。
当時良く行っていたデパートに置いてあったのはゲームは
あたりだったかなぁ。特に上の4つは鬼のように遊んでました。
当時はゲームセンターがかなりの数ありました。しかしそこはまだ不良のたまり場、という感じ…。
ただ、デパートのゲームコーナーはそんな不良はおらず、おじちゃんとおばちゃんがのんびり見守るゆったりした雰囲気だったんですね。なので子供の自分たちでも安心して遊べていました。
おしょ~がまずゲームにハマりはじめたのは幼稚園時代によく行ったデパートのゲームコーナーがきっかけです。もう夢の国、みたいな感じで5Fから6Fに上がるときにゲームの音楽が聞こえてきたときのテンションの上がりっぷりったらなかったです(*´∀`)
だから週末、デパートに遊びに行くのが本当に楽しみでしたね。
もちろん両親は海とか連れて行ってくれたんですが個人的にはこのゲームコーナーは子供のおしょ~にとって聖地でした。今でも風景がはっきりと思い出せるので本当に好きだったんだなってこれ書いていて改めて思います。
そして、そんな風にゲームとふれあっていたんですが、小学校に上がってからとうとうあの『白と赤の家庭用ゲーム機』と出会うことになります。
■今回はここまで。次回はヤツとの出会いを書きます!
ついつい長く書いちゃいました(*´∀`)
もう30年以上も前のことなんですね。自分の感覚だとそんなに経っている気はしないんですが、時の経つのは早いです。
ただ、この頃に感じていたワクワク感を今でも感じられるのってなんかゲームって本当に人を楽しませてくれるものなんだなぁって再認識!
次回はいつになるかわかりませんがまた気が向いたら書きますので、気長にお待ちくださいねー(・ω・)/
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